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梅雨明けを思わせる7月のよく晴れた日。
義母の一周忌を迎えた。
お墓のお披露目、ということもあってまずは霊園に集合。
わたしたち夫婦は早目に着いたので園内の休憩所へ。
その一角でキリスト教の式が執り行なわれている。
東京西部、多摩丘陵を切りひらいて造られたここは、宗教を問われない霊園だ。
日差しが強いけど、木立を抜ける風が心地よい。
まもなく親セキ一同が集まり、お墓へ向かう。
伯父さん、伯母さん達はここに来るのが初めてなので「いい所ね」「景色がいいワ」などと口々に言う。
できたばかりの霊園だから、まだ空いている所が多い。
墓石は洋型中心。
周辺に木が植えられ、休息できるあずまやがある。
「公園墓地」と呼ばれる典型的なタイプだ。
「ここ、ここ、▲▲▲が頑張ってくれて」と案内する義父。
その時一瞬、あの数カ月がよみがえった。
でも義父のその一言ですべてが報われた気がした。
ダンナが墓を洗い流す。
白く塗られた「柿ノ木坂家」の文字は義父が書いたものだ。
この本は、わたしとダンナ、義父、義弟の「間違いだらけ」だったお墓購入の体験談を第1部に、そして、お墓を買うときにこういうことを知っておけばラクだったのに、という基礎知識を第2部にまとめてあります。
これからお墓を買う皆さんの参考になればと、夢中になって書きました。
少しでもスムーズで、納得のいくお墓選びに役立てていただけたら幸いです。
立派なお墓とはいえないかもしれないけど、そんなことはもう気にならなかった。
ここまで来るには、いろいろあったけど…。
お墓選び、たいていの人にとっては一生に一度するかしないかの買い物ですから、わからないことだらけですよね。
「墓地」は、お墓を設けるために「都道府県知事の許可を受けた区域」をいう。「霊園」は、昭和10年東京市(当時)が「八柱霊園」と使用したのが始まりとされ、法律上の定義はない。公園的要素を取り入れた|「墓地」の意味で使われる場合もある。本書では「墓地」「霊園」は区別せず使用。
「墓所」墓地、霊園でお墓を建てるための個々の区画をさす。
「埋葬」「埋蔵」法律では「死体を土中に葬ること」(いわゆる土葬)を「埋葬」、焼骨の場合は「埋蔵」を使う。本書では区分けなく使用。
「納骨堂」法律では「他人の委託をうけて焼骨を収蔵するために、納骨堂として都道府県知事の許可を受けた施設」のことをいう。
「お薯鯵律」昭和23年制定された「墓地埋葬等に関する法律」通称「墓埋法」のこと。明治時代(1884年)にできた「墓地及埋葬取締規則」がもとになっている。「墓埋法」では埋葬や火葬、改葬、墓地、納骨堂、火葬場などについて定めている。なお、お墓の承継については「民法」、お墓の税金については「相続税法」がそれぞれ規定している。
話は、おととしの初夏、ある休日にさかのぼる。
わたしたち夫婦が住んでいる東京近郊、多摩地域は盆地ということもあって、夏は都心とはまた違った暑さとなる。
小学生たちの夏休みがそろそろ始まろうとしていた頃。
その夜はそれでもそんな時、電話が鳴った。
義母の容態が悪くなったという、義父からの連絡だった。
その晩義父は病院に泊まり込むことになり、ダンナも急ぎ向かうことに。
出かける時、笑顔を作って「大丈夫、心配しないで」とか言っちゃって。
ダンナはいつもそうだ。
人一倍心配で不安なのに、そういう時ほど、そんな風にふるまう。
いくらか涼しかった。
休みの日といえば、いつもだらだらペースですべてが遅くなりがちなのに、その日わたしたちは、なぜか早めに夕飯を終えてくつろいでいた。
満たされているのに、何かが足りない。
次の日、ダンナは一度家に戻ったけれど、命日から2日後には葬儀をするというので何かを考える暇もなくあわただしくなった。
義父は、親セキなどのごく身近な人たちだけを呼び、自宅で簡単な葬儀をするつもりだという。
その日、わたしが初めて顔を合わせる親セキが5人と、わたしの母が来た。
ご近所の、義母と生前に交流があったという女性たちも焼香に来てくれた。
お葬式としては、ごく小じんまりしたものだった。
実際、その日は全然気にならなかったけどお坊さんの読経もなかった。
出棺の時、ご近所の見送ってくれる人に挨拶しようと外に出る義父、そして義母の遺影を持つ義弟そのとき義父が声をかけた。
「おい、上着着ろよ」義弟は下はグレーのパンツで、黒のスニーカー。
上はワイシャツでネクタイをしているものの上着は着ていなかった。
そしてちょっと照れたような顔をして、言った。
「上着はなかったなぁ」こんな場なのに、思わず笑いが出そうになって下を向いた。
一応、黒の上下を着たダンナは、あきれた顔をしている。
結局ダンナは、義母の臨終に間に合わなかった。
風邪をこじらせ、老人ホームから病院に移って2週間ぐらい。
意識がない状態だったけれど、これまで何度もそういう危ないところを乗り越えてきた義母だから、とどこか希望を持っていた。
でも、最期はあっという間にやってきてしまった。
義弟は、フィギュアのデザインを考えたりその原型をつくる造型アーティスト。
最初に聞いた時は、正直そういうことがお金になるのか不思議な気もしたけど、結構仕事は忙しいようだ。
義弟は独身。
三十を過ぎているけど、この家で義父と暮らしている。
義母はここ何年か病院やホームにいたから、男性2人の男所帯。
何かと行き届かないのかもしれない。
後から、わたしの母に、「あんたが見つくろってあげればいいんじゃない?」と言われた。
そんなこと言っても、そういう間柄じゃないし……。
いかにも出張坊主っていう人がお経をあげて、「どうぞ故人の方の骨を拾ってください」と言った。
それぞれが骨を拾って骨壷に入れた。
残りは焼き場の職員が、ザーッと小さなホウキみたいなものを使って、骨壷に収め、最後、義父とダンナが箸でのど仏の部分を一番上に載せた。
遺骨は白くてきれいだった。
でも、「人間はいずれ灰になって、骨壷に入れられる」、そうリアルに感じた。
骨はまだ温かった。
そんなやりとりがあって後、私たちは親セキととともに焼き場に向かった。
待つこと1時間弱。
義母は焼かれて灰と骨になってしまった。
ステンレスの台に広げられた遣骨、「墓はお前たちに任せるからな」声には出さなかったけど、ええっというカンジだった。
「お墓」?「お前たちに任せる」って何?だけど、その時はダンナも義弟も、義父の言葉に疑問を挟まなかったし、わたしがどうこう言える状況ではなく、そのまま家を後にした。
帰りの車中、ダンナと2人になってから、義父の「お前たちに任せる」発言について聞いてみた。
親セキたちと会食し、その人たちを見送った後、この家に義父と義弟、わたしたち夫婦だけが残った。
4人でテーブルを囲み、熱いお茶を入れて飲んだ。
人が急に減った寂しさからか、柱にかかった時計の音がやけに響いて聞こえた。
4人が、この広い家に取り残されたような気がした。
4人それぞれが無言になった。
義母の死から3日。
ホントにただ忙しいだけの時間が続いて、やっとホっとできた瞬間。
けど、考えてみればそういう状況だったことは確かだ。
わたしが気づいてなかっただけで。
義父は次男。
先祖代々の墓は義父の兄(長男)が引き継ぐことになる。
ということは、義父の代からのウチのお墓はない。
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